【銭湯学】銭湯の壁画にはなぜ富士山が多いのか?

2019年12月16日月曜日

銭湯学/入浴学

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ペンキ絵の歴史


こんにちわ
銭湯の壁面には富士山が描かれているのを見たことがありませんか?

銭湯に行かれたことがなくても、
銭湯の壁面には富士山が描かれているイメージがある、
と言う方もいらっしゃるのではないでしょうか。

今回は何故富士山が描かれる様になったのか、
紹介させていただきます。

銭湯に富士山の絵が広まったキッカケ

大正元年(1912年)、
東京都内の”とある”銭湯が壁面に大きな絵を描いてもらったところ、
男湯に描かれていた富士山が大評判となったため、
近隣の銭湯も真似ていくようになった。

それが次第に東京都内全域、
そして地方にも広まっていった模様です。

発祥は猿楽町キカイ湯

東京都内の”とある銭湯”とは、
千代田区の猿楽町にあった「キカイ湯」さん。

現在は廃業(昭和46年廃業)しており、ビルが建っていますが
入口に「キカイ湯跡地」というレリーフが残されています。


ちなみに、キカイ湯さんは明治17年創業で、
汽船のボイラーを真っ先に利用した銭湯と言われております。
当時ボイラーを機械釜(きかいがま)と呼んでおり、
そこから命名されたとのこと。

ペンキ絵だけではなく、ボイラー営業の銭湯発祥ともいえそうですね。

何故、銭湯の壁面に絵を描こうとしたのか?

大正元年増築リニューアル工事の際に、
当時のご主人である「東雄三郎」さんが
「浴室内の大きな壁面を生かすにはどうしたらよいのか」
と思案した結果、
子供の好きそうな絵をかいて、絵を見ながらおとなしく風呂に入れるのを目的とした
とのこと。

このことは平成7年に「東雄三郎」さんのご子息である
平成7年東尭さんがTVにご出演なされた際に言及されている。

何故、富士山のにしたのか?

絵の題材を決めずに「川越広四郎」さんという画家に依頼したところ、
「川越」さんは静岡県掛川市の出身で、
よく見ていて馴染みがあった富士山を男湯に描いたという。
※なお女湯は自転車などが記載されていたそうです※

つまり銭湯の壁画にはなぜ富士山が多いのか?の答えは、
たまたま依頼した画家の出身地が静岡県だったから!

※参考文献※
全国公衆浴場環境衛生同業組合連合会発行
公衆浴場史より

~豆知識~

ちなみに平成7年にTV出演しペンキ絵のはじまりを語ったという、
「東尭」さんは東京電気(現東芝)に入社し色彩に関する研究で有名。

色彩料学協会(現日本色彩学会)の副会長兼関東支部長、
そして会長にまでなられた方です。

キカイ湯の後地に立つビル「TOHYUビル」は、
「東尭」さんの父親である先代「東雄三郎」の「東雄」から
名前を取ったものらしい。


さらに東尭さんのご子息「東実」さんは、
過去東芝の専務を経て、
リコーの社外取締役などをなされている。

最後に

如何でしたでしょうか。

銭湯ファンには馴染みのある情報ですが、
先日NHKのチコちゃんでも紹介されていましたが、
TVでは紹介されていなかった、
私の把握している豆知識も加筆してまとめてみました。

皆さんがより銭湯に親しみをもってくださる
きっかけになれば幸いです♪

本日は以上




話してる人

湯屋神様と私/God&Me


本日もありがとうございました。
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自己紹介

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銭湯ガイドマイスターを目指して日夜勉強中&銭湯通い。 入浴とは全く違う職種でパニック障害とウツを併発し休職。 健康を取り戻す&社会復帰のため、 銭湯入浴を日常生活に取り入れ回復に努める傍ら、 オススメの東京銭湯を中心に紹介

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